金沢近辺での葬儀事情も、だんだん変わってきています。

葬儀
平安時代末期から鎌倉時代の法然や親鸞は、「南無阿弥陀仏」と称えるだけで、誰もが極楽世界にできると教えています。ちなみに親鸞は自分が死んだら賀茂川に流して魚の餌とせよと遺言しているそうです。
仏教においては、元々、葬式という概念は無く、神道においての行事だったのだそうです。
現在における冠婚葬祭といった習慣は一種の流行で、定着したのは戦後になってからだそうです。


最近では、家族葬、火葬場での直葬、通夜は行わない一日葬など葬儀もいろいろな形式で行われるようになりました。
不透明だった葬儀価格を透明化し、明朗会計で追加料金一切不要を掲げ、分かりやすいシンプルな定額プランを売り物にしたネットでの葬儀仲介業も、最近では多く利用されてきているようです。一般に葬儀社に頼むより、かなり安く葬儀ができます。

小さなお葬式 
   唯一金沢でも対応しています。金沢では「一休さんの米永」が提携しています。
連絡して1時間以内で病院に駆けつけてくれます。一般葬も対応しています。
浄土真宗(西)・浄土真宗(東)・浄土宗・天台宗・真言宗・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗・キリスト教式・神式・友人葬(創価学会式)など対応可能です。
海洋散骨の手配もしています。
イオンのお葬式    金沢では対応していません。
こころのお葬式    金沢では対応していません。

最近、一般的な葬儀を行わない葬儀が増えてきているそうで、金沢でも約4割が家族葬などになっているそうです。
家族葬などの場合は、通夜や葬儀の日時・場所を知らせる必要がないため新聞掲載をしないのが一般的とのことで、2012年ごろから、おくやみ欄の掲載数が急減しているそうです。
2014年の調査によると、関東地方では22.3%が火葬場での直葬になっているそうです。

墓地・墓
墓は、死体を埋葬したあと、そこに大きな石を重しとして置いて、死体が墓穴から出てこないようにしたものが起源だそうです。
火葬は元々インド人がやっていたもので、焼け残った骨すべてをガンジス河に流していて、火葬をして骨を墓に埋葬するのは日本だけの特異な葬法ということです。
全国平均で火葬が50%を越えたのは1935年(昭和10年)で一般的(○○家の墓)な墓が建立され始まるのは、せいぜい明治時代の終わり以降ということです。1970年でも20.8%が土葬されていたそうです。
つまり墓という物は、一種の流行のようなものだと考えられます。
核家族化が進展し、子々孫々で墓を継承するという社会的環境が失われ、無縁墓が増加しています。家族みんなで墓参りに行くにも交通費や宿泊費がかかり、墓が傾斜地にあると年をとると墓まで歩くのも負担だし、草むしりや墓掃除のも重労働になる。一度、墓を建てれば、墓を片付けたい(墓じまい)するにも多大な費用がかかるし、墓を継承する子供の負担を考えて、お墓を建てないことを選択する人が増えているようです。子供達に墓の守り手としての負担をかけたくないとの事で、最近では現在ある墓を「墓じまい」して、永代供養墓や納骨堂に移す例も多いそうです。
金沢の法句寺は永代供養墓や納骨堂を運営していて、50回忌まで保証してくれ料金が50万円前後だそうです。
高岡市の日蓮宗大法寺では、ゆうパックで送られた遺骨を永代供養墓に葬るサービスを行っているそうです。
小松市の真宗大谷派本光寺では、行き場の無い遺骨を無償で弔う事も行っているそうです。
内灘町では2016年に、公営の納骨堂をオープンしたのですが、1年以上の町内在住者が対象で、使用料は納骨室が1体16万円、直接埋蔵室が同9万円です。
宗教学者の島田裕巳氏は、遺族が火葬場から遺骨を引き取らない選択をゼロ葬と呼び、これこそが墓を建てる、守るといった心理的負担、金銭的負担から開放される手段だと主張し注目を集めたそうです。
お寺の檀家制度
現在のように、仏教が葬式仏教になってしまったのは、キリシタン対策のために江戸時代に導入された寺請制度(檀家制度)の影響だということです。寺請制度(檀家制度)によって、檀家のお布施が義務になって、信仰の布教が必要なくなり、菩提寺を粗末に扱っていると宗門人別改帳に請印捺さないと圧力をかけたりすることになったりしたそうです。しまいには、仏教寺院が「御条目宗門檀那請合之掟」を偽作して、寺の行寺に参加すること、寺の雑役・修理・建立をつとめること、葬式には檀那寺の差図を受けること、死者に剃刀を与え、戒名をつける際は、住持が死相をよく見届けた上で引導を渡すこと、中陰・年忌・命日あるいは先祖供養を怠らないことなどの「掟」を細々と規定して、お寺の収入を増やしていったそうです。このようにして、年忌法要は江戸時代に寺院が金儲けのために始まったそうです。
明治5年に「自今僧侶肉食妻帯蓄髪等可為勝手事」があり、僧侶の「肉を食べる・妻をめとる・髪を生やす」ことを解禁し、住職の世襲も明治以降認められるようになっていき、僧侶の世俗化が図られ、僧侶が尊敬の対象ではなくなっていくことになったようです。現在のように、住職が妻帯して息子がお寺を継ぐようになったのは明治時代からのことで、せいぜい100年の歴史ということだそうです。
その後、過去の戦争について、不殺生戒を真っ先に守らなければいけない立場の僧侶が、大東亜戦争に反対するどころか、多くの宗派ではゼロ戦や軍艦を国に寄付したり、戦争協力を申し出たりして戦争に加担したことにより、国民の信頼を失ったようです。
それに加えて、戦後のGHQが指導した「農地改革」により地主として多くの土地を小作に貸していた寺院所有の農地が失われ、安定した収入が失われ、寺院の弱体化が決定付けられたようです。
現在、全国に約7万7千の寺院があり、その内住職がいない無住寺院は約2万に達していて、宗教活動を停止した不活動寺院は2千以上あるとのことです。